「死の北極探検」のストーリー

シドニー及びエッチ・エイ・スノウの2兄弟及び船長レイン氏指揮の下に砕氷船ヘルマン号はサンフランシスコを出発し、先ずアラスカ、ジュノウを経、北上してノームまで内航路を取り北極圏内に進む計画であった。船が北へ進むにつれ色々の目新しい鳥獣の棲息が目に入った。海豚の大群、数百万羽の海鳥、ムレ鳥の島、海の鸚鵡と言われるパッフィン鳥、鴎、鵡、等がそれであった。ジュノウを経、大氷河を見、また太洋に出るとここで彼らは大暴風に遇い、海豹島に避難し、天候快復を待つ間に海豹や馴鹿の棲息状態をカメラに収めた。それから捕鯨区域に入って捕鯨を行った後、ノームでいよいよ文明世界と別れを告げ、キング島に於いてエスキモ人を雇い入れ、北極圏に入る手筈を定めた。かくて船は帆を捨て発動機により氷を砕いて北へ北へと向った。一行はセイウチ狩りを行い、数頭の巨獣を射留め得意となったが、それも束の間で、大吹雪に遇い、危機にひんしたがなお勇を鼓して進み、北極熊を発見して、それを生獲した。それからヘラルド島を探ね出して、ステファンソン一行遭難の現場に至り、犠牲者の霊を祀り、記念碑を建てた。これが実に1924年9月27日のことであった。

今日は映画何の日?

注目記事