「1000年の山古志」のストーリー

2004年10月23日、新潟県中越地方は中越大震災に見舞われた。長岡市と合併寸前だった山古志村は、山の崩壊、川の氾濫による集落の水没など、甚大な被害を受けた。田や養鯉地は底が抜け、倒壊した牛舎では多くの牛が死んだ。コンクリートの道路がめくれ上がり、住居は倒壊し、ライフラインも遮断された。地震発生の翌日、住民たちは全員自衛隊のヘリコプタで長岡市に避難した。ヘリの窓から見えた山古志村は、2度と住民たちを寄せ付けないように思えた。山古志村の復旧活動は、国の想定をはるかに超えるものだった。山の斜面崩壊と芋川の氾濫により水没した集落の排水作業には、最新の土木技術と膨大な作業員が投入された。しかし、2年連続で山古志を襲った豪雪のため、思うように作業は進まない。仕事も資産も失った住民たちは仮設住宅に避難するが、3割の人が他の地域へ移住していく。2006年春、徐々に避難解除されるようになった村に、仮設住宅から住民たちが通うようになる。彼らは住居や田畑の復旧作業に取り組みながら、山古志に戻ること、山古志で生きることの意味を考え始めた。中越大震災発生から5年目の秋を前に村に戻った人々は、先人たちが山古志で生きた1000年余りの歴史に思いを馳せる。

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