「近衛兵」のストーリー

これはウィーンのある有名な俳優とその妻でこれも同じく夫と共に舞台に立っている有名な女優との間に起こった話である。俳優は自らは当代随一のロメオ役者と自負しているだけあって、女に対しての自信のほども到底並々のものではないのであったが、ただ妻に対してだけはどうもその真意のほどを計りかねて弱っていた。それは妻というのが、自分と結婚する前には彼の親友の批評家の説によれば9人、自分の説によればすでに7人の男と浮き名を流したことがあるのだし、またその日頃の素振りのなまめかしさから考えても、どうも何かありはしないかと思われるからであった。それに妻が闇の中に座ってショパンを弾いては涙を流している事がたびたびあるので、妻には恥も外聞もなく参っている彼としてはたまらぬ思いであった。で、その懊悩の結果、思いついたということは、さすがは商売柄で他人に扮装して妻に近づき、その心のほどを試そうということであった。で、彼はその変装人物には、まず婦人方の心に最も魅力のあると信ずるロシアの大公たる近衛兵を選んだ。そして彼の比類なき名優ぶりを発揮して、全然別個の人物たる近衛兵に変装し得たと信じたところで、妻に花を送り面会を求めたところ、これが何と悲しくも直ちに色よい引見、応接となり彼が烈しい恋のうちあけにすらもそれとない風情で答えてくれた。これは彼としては悲しい姿ではあったが、また一方俳優が大芝居を打ってそれに成功しているという自惚れを誘う誘惑もあって、彼はずるずると我と我が身で掘った穴へとはまり込んで行った。で、妻にそれとなく近衛兵のことをほのめかして当たってみることもあったが、妻は艶やかに一笑に付したり、また彼のほうから追及すると今度は柳眉を逆立てて家を出て行くなどと言うので、彼はもう神経が妙になってしまった。だが打った芝居は終りまで演らねばならず、オルムツから出演を依頼してきた電報を自分から自分宛に打ってみる。すると妻は近衛兵たる自分には夫が留守で、今夜はオペラに行くつもりだと言う。オルムツへ立つと見せかけ途中から取って返し、今度は近衛兵になってオペラに行き、盛装した妻に再会する。で、その晩、妻を家まで追いかけて行くと最初のうちは断ったが、ではやむをえんと言って彼が帰りかけると、窓から妻が放ってくれたのは鍵である。こうなってはさすがの彼もたまりかね、翌日の事、嫉妬の刃を片手に妻に、覚悟めされといって詰め寄ったところ、始めは唖然としていたが妻が急にカラカラと笑い出して、私は始めからあなたが変装していたのは知っておりました。けれどせっかくのあなたのお芝居ですから、私もそれに調子合わせていましたのよ、と言うのである。さすがの名優もさては我が変装は未だ完全ではないのかと、しおれ返って妻の暖かい腕の中に顔を隠したのであるが、その様を傍らから眺めた批評家が思わずニヤリと笑ったというのは、果たして何を意味したものであろう。