「宮澤賢治 その愛」のストーリー

大正2年、岩手県立盛岡中学校に在学中の宮沢賢治は、同年代の友人たちと青春を謳歌していた。しかし、中学を卒業して実家のある花巻へ戻った賢治は、冷害による飢饉に苦しむ農民の生活を目の当たりにして、厳しい現実に強くうちのめされる。家業である質屋を継ごうとしても情け心が優先してうまくいかない賢治は、最愛の妹・トシの勧めもあって、盛岡の農林高校へ進学した。賢治は土壌の改良や研究に勤しみながら、仏教にも深く信仰を寄せるようになっていった。ところが、日本女子大に入学したトシが入院し、自分も心臓の弱さから徴兵検査で第二乙種になったことで心に深い傷を負った賢治は、精神のバランスを失いかけた。賢治はそんな生活から逃避するために東京へ家出した。印刷工場で働きながら国柱会の手伝いをしていた賢治は、父・政次郎の説得とトシの容体が悪化したとの知らせで帰郷するが、賢治の懸命の看病もかなわず、トシは他界してしまう。新設された花巻農学校の教師になった賢治は、教鞭をとる一方で自ら書き上げた脚本『飢餓陣營』を上演するという独自の教育方針で生徒たちを指導した。だが、自分の教えと農業には向かない花巻の自然環境の現実との矛盾に悩んだ賢治は、教師を辞めて“羅須地人協会”を設立、昼は畑を耕し、夜は仲間たちと文化活動をするようになる。高瀬露という女性会員は賢治に心を寄せていたが、禁欲生活の賢治は彼女の愛をうけとめられなかった。やがて、協会も閉鎖となり、賢治は農学校を開設したいという伊藤七雄の頼みで大島へ渡ることになった。そこで賢治は、伊藤の妹・チエとの間にほのかな愛の芽生えを感じていたが、その時すでに病魔は賢治の体を蝕み始めていた。肥料製造会社の依頼を受けて、石灰岩を元にした肥料の研究・宣伝の仕事に就いていた賢治は、仕事先の東京で倒れ、迎えに行った政次郎のお陰で故郷には戻ってきたが、昭和8年、家族が見守る中で、その生涯を閉じるのだった。賢治が他界してしばらくしてから、弟の清六は兄の愛用していたトランクの中から、賢治が生前に書き残した小説や童話の原稿とともに、『雨ニモマケズ』の詩を発見する。