「そして人生はつづく」のストーリー

一九九〇年、大地震がイラン北部を襲った。「友だちのうちはどこ?」の撮影地は被災地の近くだ。映画の少年たちの安否を気遣って、地震の五日後、監督(フファルハッド・ケラドマン)は息子のプーヤ(プーヤ・パイヴァール)とともに撮影の行われたコケール村に行った。車が被災地に近づくと、多くの人々が壊滅した町で瓦礫を片づけていた。道を訊ねながら進んでゆくと災害の様子が目の当たりに迫ってくる。崩れた家を片づける人々、岩におしつぶされた車、亀裂が何本も入った山肌。コケール出身の人に映画の主人公たちの消息を聞いても、コケール村は全滅で消息は知らないとのこと。道を引き返し、あたりを見回すと「友だちのうちはどこ?」で主人公の少年がノートを抱えて走ったジグザグの道が目にとまった。途中で「友だちのうちはどこ?」で主人公に道を教える老人役で登場したヒルさんに会う。彼の村に着くと、人々は災害に見舞われながらもたくましく生きていた。監督は、地震で身内が六十人死んだが、翌日には結婚式を挙げたという男と話しをする。さらに先に進んだ父子は映画に出ていた少年パルバァネを見つけ、車に乗せる。主人公たちのことを聞いたが、彼も知らなかった。パルバァネとプーヤはサッカーの話に夢中で、テレビでサッカーを観たいというので、監督だけコケール村に向かった。丘の頂上でアンテナを建てていた男に主人公たちの消息を聞くと、二十分ほど前にそこを通ったという。あわてて車をふかし追いかけるが急坂で車が故障してしまう。荷物を担ぎ歩いている男に車を押してもらいなんとか坂を登った監督は、今度は彼を車に乗せて山道を登っていった。