「アレクサンダー大王」のストーリー

1899年12月31日の深夜、何者かの手引きによってギリシャの小島にある刑務所から20数名の囚人が脱獄した。アレクサンダー大王(オメロ・アントヌッティ)と呼ばれる首領に率いられた賊の一団だ。同じ夜、アテネの王宮では英国貴族らを迎えて新年と新世紀を祝うパーティが開かれていた。その席でさる英国人が、大地主ジェレピス(C・ネザール)の土地にある炭鉱の採掘許可が得られるよう陸軍大臣に訴える。しかし、ジェレピスはその土地は農民が所有権を主張して頑強に抵抗していると語る。パーティに出席していたマンカスター卿は4人の仲間と3人の女性を伴って、アテネに程近いスーニオン岬に日の出を見に行くが、脱獄したアレクサンダー大王に誘惑されてしまう。大王はジェレピスの土地を農民のものと認め、自分たちに恩赦を下すよう国王、政府、英国大使に要求書を出し、生地である北ギリシャの村ヘ向った。途中、5人のイタリア人アナーキストが一行に加わる。しかし、村は先生(グリゴリス・エヴァンゲラトス)と呼ばれる指導者のもとで共産村が作られており、大王の部下は全てが共有で、自分のものは何ひとつないと、口々に不満を訴えた。そして翌朝、何頭かの羊が殺されているのが発見された。村は政府軍に包囲され、大王と村人との間に不和が生じる。そんな時、政府の密使が大王を訪れ、恩赦には応じられないが形式的な裁判を開いた後、特赦によって彼らを自由にするという提案がなされ、大王は裁判を村で開くよう要請した。また、ジェレピスは政府の圧力でやむなく土地を村人ヘ返すが、陰謀の匂いを嗅ぎつけた先生はイタリア人アナーキストに不安を訴える。そして、村では戻った土地についての争いが始まり、共産制は危機に瀕し、村を逃げだそうとしたイタリア人も射殺されてしまう。裁判は大王が検事を射殺したことにより成立せず、これによって村人とも完全に孤立し、遂に人質までも殺害してしまった。政府は人質が殺されたことにより、村に総攻撃をかけ、大王の部下を次々と倒していく。大王は多勢の村人に取り押えられるが、何故か後には大王の形をした石像が残るだけでその姿は消えてしまった。村から脱出したのは大王と同じ名の少年ただひとりだった……。

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