男性の王者

だんせいのおうじゃ
製作国
アメリカ

ジャンル
ドラマ

ここが見どころ

「戦時特派員」「恩讐」のジャック・ホルトが主演する映画で、チェスター・アースキンとユージーン・ソロウの原作を、「風雲の支那」のエドワード・E・パラモア・ジュニアと「鷲と鷹(1933)」のシートン・I・ミラーが共同脚色死、西部劇監督として名のあるランバート・ヒルヤーが監督に当たり、「青空天国」のジョー・オーガストが撮影した。助演は「バワリイ」「魔の海底」のフェイ・レイ、「青空天国」「戦時特派員」のウォルター・コノリー、「ジェニイの一生」のデオドル・フォン・エルツ、「アフリカは笑ふ」のバートン・チャーチルの面面である。

「男性の王者」のストーリー

ウォリング製鉄会社の職工長バックは工場視察中の社長の娘ケイの奇禍を救った。バックはその後、ケイの誕生日にストライキの職工代表として社長宅で社長に会い、ストライキを円満に解決する。こんなことからバックとケイは親しくなる。バックは人事課長に抜擢され会社の事業成績を大いに挙げる。ケイに恋している株式仲買人グレネカーとケイの父社長とが軍艦製造請負に不正のあることを知ったバックは、大株主パーカーはグレネカーの裏をかいて大儲けをする。そしてバックを更めてウォリング製鉄会社の社長に推し、バックはケイとを結婚させてニューヨークへ派遣する。バックはケイを喜ばせるために金儲けに興味を持ち、対には大胆な株式売り買いを敢行し事業を拡大したが、妻ケイは夫の性格が肥後湖に荒め、家庭愛を忘れ、金儲けに狂奔するのを憂える。パーカーもバックの事業拡大に反対し協同事業から手を引いてしまう。果してバックは銀行よりの借入金過剰のため経済的に行き詰まってしまった。ケイは夫を本心に立ち返らせるには夫を無一文に転落させるに如数と考え、夫の窮状を仲買人グレネカーに内通する。グレネカーはこれに乗じてバックを破滅に陥れた。バックは妻ケイの真実を疑い無一文の身で故郷に戻って北が、昔馴染みは誰も相手にせぬ。しかしパーカーの親切な計らいでバックとケイは貧しいながら楽しい生活にもとることができた。

「男性の王者」のスタッフ・キャスト

スタッフ
キャスト役名

「男性の王者」のスペック

基本情報
ジャンル ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1933
製作会社 コロンビア映画
レイティング

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映画専門家レビュー

今日は映画何の日?

NEW今日命日の映画人 3/3

安井昌二(2014)

小梅姐さん

「炭坑節」や「黒田節」など多くの民謡をヒットさせ、NHK紅白歌合戦でも美声を聞かせた芸者出身の歌手・赤坂小梅の生誕100周年を記念して製作されたドキュメンタリー。生まれ育った筑豊や芸者修行に励んだ北九州など彼女ゆかりの地を訪ね、数々の記録映像や関係者へのインタビューを交え、歌一筋に生きた彼女の生涯に迫る。監督は『ハイビジョンふるさと発~有明海に生きるカメラマンの物語~』などのドキュメンタリー番組を数多く手掛けた山本眸古。ナレーションを「悪名」の水谷八重子、作曲・音楽アドバイザーを「上方苦界草紙」の本條秀太郎が担当した。赤坂小梅。本名、向山コウメは明治39年(1906)年4月、福岡県川崎町に9人兄姉の末っ子として生まれる。16歳の時に自ら芸者を志し北九州の置屋「稲本」に。通常1年間の芸者修行を3ヶ月でこなし、1年で芸者デビュー、“梅若”を名乗る。昭和4(1929)年、九州一円の民謡研究のため小倉を訪れていた野口雨情、藤井清水らに認められ、レコードデビューを果たし、同6年に上京。同8年、コロムビアから発売した「ほんとにそうなら」が大ヒット。以来、端唄、舞踊小唄などを含め、多くの流行歌や民謡をレコーディングしヒットさせた。NHK紅白歌合戦にも4回出場、その豪放磊落な性格から多くの文化人や政・財界人などに愛され、大衆から支持された。酒豪でも知られ、恰幅のいい体型が特徴的だった彼女は昭和56(1981)年4月、75歳で引退。晩年は民謡の普及や福祉活動に勤しみ、平成4(1992)年1月17日死去。享年85歳であった。

楳図かずお恐怖劇場 まだらの少女

人の憎しみが生み出す蛇の呪いの恐怖を描いた中篇ホラー。監督は「恋する幼虫」の井口昇。楳図かずお原作の同名コミックを基に、「ホラ~番長 稀人」の小中千昭が脚色。撮影を「着信アリ2」の喜久村徳章が担当している。主演は、「Last Quarter 下弦の月」の中村有沙と「TRICK  劇場版」の成海璃子。尚、本作は「楳図かずお恐怖劇場」の中で、「ねがい」と2本立公開された。楳図かずおデビュー50周年作品。