少年軍兵士

しょうねんぐんへいし
製作国
アメリカ

ジャンル
ドラマ

ここが見どころ

「隼コーラン」「村の医者」のジュニアー・コーランと「サリーとその子」「四人の悪魔」のフィリップ・ドゥ ・ラシーと「西部戦線異状なし」「暴力団(1928)」のルイ・ウォルハイムとが共演する映画で、ジョージ・ドロムゴールド、ハウストン・ブランチ、ペギー・プライアが共同して書き下ろした台本によって「ラッシュ・アワー」「なでしこ小僧」のE.メイスン・ホッパーが監督し、「空中大曲芸団」「通り魔」のデイヴィッド・エーベルが撮影した。助演者はアニータ・ルイズ、キューピー・モーガン、ジョン・モーリス等である。

「少年軍兵士」のストーリー

浮浪者のスラッグは世界大戦の殊勲兵士だったが戦後仕事にあぶれて、フックにデリケイト・ドンという2人の相棒と一緒に貨物列車で悪事を働いていた。スラッグは以前隊長だったカートライトを訪れる途中、3人の子供が兵隊ごっこをしているのに出会い、その中の1人タッドは自分の実子であることが判った。タッドが軍人志望と知ったスラッグはその望みを叶えさせ度いと思ったが現在の自分の身の上を恥じて親子の名乗りはしなかった。その夜スラッグ等はカートライトの店を襲いバラバラになって貨物列車で逃走した。数日後タッドのもとには陸軍士官学校から入学許可の通知状が来た。それは無名の篤志家が授業料を支払ってくれたからであった。タッドは喜んで入学した。そこでは大戦当時の縁故で就職したスラッグが小使いとして働いていた。スラッグは飲酒癖が治らず醜態を演じようとしたがタッドの機知で救われた。士官学校観兵式の日タッドがラッパ手に選ばれたのでスラッグはラッパを夜も寝ずに磨いてやった。その時別れていた以前の相棒2人は盗みに襲って来た。物音に感づいたタッドは仲良しのスラッグまでが2人の泥棒と盗品を分けているのを見て飛びかかった。わが子の危急を見てスラッグも2人を敵として激しく闘った。スラッグはタッドをかばって悪漢の銃弾にたおれ、我が子に抱かれて息を引き取った。この男が実の父親とはタッドはついに知らなかったのである。

「少年軍兵士」のスタッフ・キャスト

スタッフ
キャスト役名

「少年軍兵士」のスペック

基本情報
ジャンル ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1929
製作会社 パテ映画
配給 欧米映画社
レイティング

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映画専門家レビュー

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安井昌二(2014)

小梅姐さん

「炭坑節」や「黒田節」など多くの民謡をヒットさせ、NHK紅白歌合戦でも美声を聞かせた芸者出身の歌手・赤坂小梅の生誕100周年を記念して製作されたドキュメンタリー。生まれ育った筑豊や芸者修行に励んだ北九州など彼女ゆかりの地を訪ね、数々の記録映像や関係者へのインタビューを交え、歌一筋に生きた彼女の生涯に迫る。監督は『ハイビジョンふるさと発~有明海に生きるカメラマンの物語~』などのドキュメンタリー番組を数多く手掛けた山本眸古。ナレーションを「悪名」の水谷八重子、作曲・音楽アドバイザーを「上方苦界草紙」の本條秀太郎が担当した。赤坂小梅。本名、向山コウメは明治39年(1906)年4月、福岡県川崎町に9人兄姉の末っ子として生まれる。16歳の時に自ら芸者を志し北九州の置屋「稲本」に。通常1年間の芸者修行を3ヶ月でこなし、1年で芸者デビュー、“梅若”を名乗る。昭和4(1929)年、九州一円の民謡研究のため小倉を訪れていた野口雨情、藤井清水らに認められ、レコードデビューを果たし、同6年に上京。同8年、コロムビアから発売した「ほんとにそうなら」が大ヒット。以来、端唄、舞踊小唄などを含め、多くの流行歌や民謡をレコーディングしヒットさせた。NHK紅白歌合戦にも4回出場、その豪放磊落な性格から多くの文化人や政・財界人などに愛され、大衆から支持された。酒豪でも知られ、恰幅のいい体型が特徴的だった彼女は昭和56(1981)年4月、75歳で引退。晩年は民謡の普及や福祉活動に勤しみ、平成4(1992)年1月17日死去。享年85歳であった。

楳図かずお恐怖劇場 まだらの少女

人の憎しみが生み出す蛇の呪いの恐怖を描いた中篇ホラー。監督は「恋する幼虫」の井口昇。楳図かずお原作の同名コミックを基に、「ホラ~番長 稀人」の小中千昭が脚色。撮影を「着信アリ2」の喜久村徳章が担当している。主演は、「Last Quarter 下弦の月」の中村有沙と「TRICK  劇場版」の成海璃子。尚、本作は「楳図かずお恐怖劇場」の中で、「ねがい」と2本立公開された。楳図かずおデビュー50周年作品。