恋と胃袋

こいといぶくろ
製作国
アメリカ

ジャンル
ドラマ

ここが見どころ

「唄へ!踊れ!(1933)」「響け応援歌」のビング・クロスビーが主演する映画で、「心の青空」「マタ・ハリ」と同じくベンジャミン・グレイザーが書き下ろし、「ボレロ」のホレース・ジャックソンと「ヒョットコ夫妻」のフランシス・マーティン、「ラジオは笑う」のジョージ・マリオン・ジュニアが共同脚色し、「坊やはお休み」「頓珍漢大勝利」のノーマン・タウログが監督にあたり、「ゆりかごの唄」「恋の手ほどき(1933)」のチャールズ・ラングが撮影した。助演者は「ボレロ」「白い肉体」のキャロル・ロンバード、「ヒョットコ6人組」のジョージ・バーンズ及びグレイシー・アレン、短編に出演していた流行歌手エセル・マーマン、「脱線泥棒」のレオン・エロール等である。

「恋と胃袋」のストーリー

ドリス・ワーシントンはヒューバート伯父さん等一同と、伯父さんのヨットで航海に出掛けた。ドリスは5000万ドルの遺産を持っていて、2人の貴族が彼女を追いかけていたが、ドリスは伯父のヨットの水夫スティングが好きだった。ある日、ヨットが難破した。運良く伯父さんと伯父さんの恋人のエディス、それにドリスとスティングと彼の熊とがある孤島に上陸した。その島で水夫のくせにスティングが一行の采配を振ることとなった。この島にジョージとグレイシイという夫婦が来ていた。ドリスは単身島をたんけんしているとき彼らに会い、彼らが動物採集に来ていることを知った。大学教育を受けた建築家のスティングはドリスが嫌いではなかったが、負けぬ気の男で金を目当ての結婚と思われることを心配していた。満月の夜、ドリスとスティングが語ったとき彼女は金持ち娘の気儘からスティングのかたくなな気持ちを軽蔑し、スティングも彼女を軽蔑したので喧嘩別れになってしまった。そのうちに救助船が2隻来た。ドリスの一行はニューヨーク行きの客船に乗ったが、スティングは貨物船を選んだ。ところが船長に呼ばれて甲板に行ってみると、そこにドリスが来ていて、スティングに自分の勝手な我儘を詫びたので、スティングは喜んで彼女を迎えたのである。

「恋と胃袋」のスタッフ・キャスト

スタッフ
キャスト役名

「恋と胃袋」のスペック

基本情報
ジャンル ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1934
製作会社 ファースト・ナショナル映画
レイティング

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映画専門家レビュー

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安井昌二(2014)

小梅姐さん

「炭坑節」や「黒田節」など多くの民謡をヒットさせ、NHK紅白歌合戦でも美声を聞かせた芸者出身の歌手・赤坂小梅の生誕100周年を記念して製作されたドキュメンタリー。生まれ育った筑豊や芸者修行に励んだ北九州など彼女ゆかりの地を訪ね、数々の記録映像や関係者へのインタビューを交え、歌一筋に生きた彼女の生涯に迫る。監督は『ハイビジョンふるさと発~有明海に生きるカメラマンの物語~』などのドキュメンタリー番組を数多く手掛けた山本眸古。ナレーションを「悪名」の水谷八重子、作曲・音楽アドバイザーを「上方苦界草紙」の本條秀太郎が担当した。赤坂小梅。本名、向山コウメは明治39年(1906)年4月、福岡県川崎町に9人兄姉の末っ子として生まれる。16歳の時に自ら芸者を志し北九州の置屋「稲本」に。通常1年間の芸者修行を3ヶ月でこなし、1年で芸者デビュー、“梅若”を名乗る。昭和4(1929)年、九州一円の民謡研究のため小倉を訪れていた野口雨情、藤井清水らに認められ、レコードデビューを果たし、同6年に上京。同8年、コロムビアから発売した「ほんとにそうなら」が大ヒット。以来、端唄、舞踊小唄などを含め、多くの流行歌や民謡をレコーディングしヒットさせた。NHK紅白歌合戦にも4回出場、その豪放磊落な性格から多くの文化人や政・財界人などに愛され、大衆から支持された。酒豪でも知られ、恰幅のいい体型が特徴的だった彼女は昭和56(1981)年4月、75歳で引退。晩年は民謡の普及や福祉活動に勤しみ、平成4(1992)年1月17日死去。享年85歳であった。

楳図かずお恐怖劇場 まだらの少女

人の憎しみが生み出す蛇の呪いの恐怖を描いた中篇ホラー。監督は「恋する幼虫」の井口昇。楳図かずお原作の同名コミックを基に、「ホラ~番長 稀人」の小中千昭が脚色。撮影を「着信アリ2」の喜久村徳章が担当している。主演は、「Last Quarter 下弦の月」の中村有沙と「TRICK  劇場版」の成海璃子。尚、本作は「楳図かずお恐怖劇場」の中で、「ねがい」と2本立公開された。楳図かずおデビュー50周年作品。