月光の曲(1930)

げっこうのきょく
製作国
アメリカ

ジャンル
ドラマ

ここが見どころ

「黎明の剣士」「肉体の呼ぶ声」と同じくラモン・ノヴァロとドロシー・ジョーダンの共演になる映画。アレハンドロ・ペレス・ルギンの小説からベス・メレディス、ソールズベリー・フィールド、エドウィン・ジャスタス・メイヤーが共同で脚色し、台詞をつけ、「恋愛戦線」「天使の顔」のロバート・Z・レナードが監督し、「愛の太鼓」「恋愛戦線」のオリヴァー・T・マーシュが撮影している。助演者は「好いて好かれて」のハーバート・クラーク、新進ロティス・ハウエル、「フー・マンチュー博士の秘密」「青春倶楽部(1930)」のクロード・キング、「ノアの箱船」のウィリアム・V・モング、「七日間の休暇」「西部戦線異状なし」のベリル・マーサー、デイヴィッド・スコット等である。

「月光の曲(1930)」のストーリー

マドリッドでも名家としてしらるるカステラー侯爵の息子リカルドは、未だ学業にいそしむ若い身であるが、踊り子ゴイタの事件にからんで問題を起こし、遂に父の知るところとなり静かなサンチアゴのある学校の寄宿舎生活(トロイの家とて昔から伝統的に知られている)をせねばならなくなった。ここで彼は父の親友の娘カルミナと相知る仲となったが、彼女はリカルドと争闘を起こしたスペイン唯一の闘牛士と自認するオクタヴィオと婚約の間柄であった。しかし彼女はリカルドと相知る仲となっていらい、彼を慕っていた。彼もなた彼女を愛した。遂には相互の親の了解もついて近く結婚式を上げるまでとなった。踊り子ゴイタはリカルドを忘れかねて彼の跡を追いサンチアゴに来たり、彼の部屋を訪れた。これがオクタヴィオの知るところとなり吹聴したのでリカルドを崇拝していたカルミナの兄アーネストも怒って彼に決闘を申し込んだ。リカルドは全てを覚悟し、最愛のカルミナの兄を傷つけるに忍びず、空砲を放ってアーネストの弾丸をうけた。カルミナはリカルドのゴイタとの問題について不満に思っていたが、心から愛していたリカルドの負傷を見て駆け寄って彼を介抱した。依然リカルドを愛するカルミナはこれが動機となり、誤解も氷解して、2人は結婚式を挙げることになった。

「月光の曲(1930)」のスタッフ・キャスト

スタッフ
キャスト役名

「月光の曲(1930)」のスペック

基本情報
ジャンル ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 1930
製作会社 M.G.M 映画
配給 MGM支社
レイティング

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安井昌二(2014)

小梅姐さん

「炭坑節」や「黒田節」など多くの民謡をヒットさせ、NHK紅白歌合戦でも美声を聞かせた芸者出身の歌手・赤坂小梅の生誕100周年を記念して製作されたドキュメンタリー。生まれ育った筑豊や芸者修行に励んだ北九州など彼女ゆかりの地を訪ね、数々の記録映像や関係者へのインタビューを交え、歌一筋に生きた彼女の生涯に迫る。監督は『ハイビジョンふるさと発~有明海に生きるカメラマンの物語~』などのドキュメンタリー番組を数多く手掛けた山本眸古。ナレーションを「悪名」の水谷八重子、作曲・音楽アドバイザーを「上方苦界草紙」の本條秀太郎が担当した。赤坂小梅。本名、向山コウメは明治39年(1906)年4月、福岡県川崎町に9人兄姉の末っ子として生まれる。16歳の時に自ら芸者を志し北九州の置屋「稲本」に。通常1年間の芸者修行を3ヶ月でこなし、1年で芸者デビュー、“梅若”を名乗る。昭和4(1929)年、九州一円の民謡研究のため小倉を訪れていた野口雨情、藤井清水らに認められ、レコードデビューを果たし、同6年に上京。同8年、コロムビアから発売した「ほんとにそうなら」が大ヒット。以来、端唄、舞踊小唄などを含め、多くの流行歌や民謡をレコーディングしヒットさせた。NHK紅白歌合戦にも4回出場、その豪放磊落な性格から多くの文化人や政・財界人などに愛され、大衆から支持された。酒豪でも知られ、恰幅のいい体型が特徴的だった彼女は昭和56(1981)年4月、75歳で引退。晩年は民謡の普及や福祉活動に勤しみ、平成4(1992)年1月17日死去。享年85歳であった。

楳図かずお恐怖劇場 まだらの少女

人の憎しみが生み出す蛇の呪いの恐怖を描いた中篇ホラー。監督は「恋する幼虫」の井口昇。楳図かずお原作の同名コミックを基に、「ホラ~番長 稀人」の小中千昭が脚色。撮影を「着信アリ2」の喜久村徳章が担当している。主演は、「Last Quarter 下弦の月」の中村有沙と「TRICK  劇場版」の成海璃子。尚、本作は「楳図かずお恐怖劇場」の中で、「ねがい」と2本立公開された。楳図かずおデビュー50周年作品。