ここが見どころ
ハワード・ウォーレン・カムストックの舞台劇から「愉快な武士道」のウィリアム・コンセルマンが脚色し台詞を付し、シーモア・フェリックスが監督した映画で、出演者の顔ぶれは「山猫酒場」のルイズ・ドレッサー、「バッド・ガール」のミナ・ゴンベル、「忘れじの面影(1930)」のジョビナ・ハウランド、「アナベル情事」の老ウィリアム・コリアー、スタンリー・スミス、バーバラ・ウィークス。キャメラは「怪探偵張氏」のジョージ・シュナイダーマンが担当である。
今すぐ見る
みんなのレビュー
「踊る姉妹」のレビューを書く
「踊る姉妹」のストーリー
ラムゼイ夫人はいまでこそ夫のハーバートとニューヨークのロング・アイランドに邸宅を構え娘ノーマと豪奢な生活をしているが、その昔は茶番狂言の女役者なのである。そしていつかは名流婦人になりたいと願う彼女にとってこのような経歴を持っていることは頭痛の種であった。そこで彼女は自分の過去を知られまいとあらゆる苦心を凝らしていた。娘のノーマにはジャック・カールトンという歌い手の恋人が会ったが、母親がそんなわけなので反対されることを恐れ内緒にしていた。そのうちレオナード大使の発案で家畜愛護家の慈善演劇が催されることになり日頃機会を狙っていたラムゼイ夫人はこの時とばかり一肌ぬぐことになった。さて慈善演劇会は彼女の邸内で行われることにきまった。当日になると契約していた芸人たちが到着したが、その中にはノーマの恋人ジャックも交じっていた。他に来たのは演劇の朗読者として有名なチャトォース・リンド夫人、ロジー・ラマーの2人である。ところが驚いたことにこの二人の女芸人はその昔ラムゼイ夫人が舞台に出ていた頃の仲間であった。リンドとラーもびっくりしたがラムゼイ夫人の驚き方はそれ所でない。顔を合わせるやトタンに気絶したほどである。そのうちに客もつめかけて来たため見世物も幕を上げることになった。当日の呼び物は大使の筆による「国際連盟」という踊りだったが、いよいよそれが始まると、喜劇味たっぷりの異様の風体をしたリンドとラマーの2人が飛び出して折角の舞踏を目茶苦茶にしてしまった。女客の中には恐れをなして悲鳴をあげる者さえあったが男客は大喜びだった。しかし気の毒なことにこの騒ぎの結果、ラムゼイ夫人の素性が知れ社交界から排斥の決議が下されようとした。ついでにラマーのパトロンがラムゼイであることも発覚してしまう。しかし大使の斡旋によってさしもの紛争も解決し、ノーマとジャックの結婚も許されてめでたく日が暮れたのである。
「踊る姉妹」のスペック
基本情報 | |
---|---|
ジャンル | ドラマ |
製作国 | アメリカ |
製作年 | 1931 |
製作会社 | フォックス映画 |
配給 | フォックス支社 |
レイティング |
「踊る姉妹」のみんなのレビュー
「踊る姉妹」のレビューを書く映画専門家レビュー
今日は映画何の日?
NEW今日誕生日の映画人 3/2
- ダニエル・クレイグ(1968)
-
ナイブズ・アウト 名探偵と刃の館の秘密
「スター・ウォーズ/最後のジェダイ」のライアン・ジョンソンのもと豪華キャストが集結したミステリー。富豪作家のハーランが誕生会の翌日、遺体となって発見された。屋敷にいた全員に容疑がかかる中、匿名の人物から依頼を受けた名探偵ブノワは真相を探る。謎に迫る探偵ブノワ・ブランを「007」シリーズのダニエル・クレイグが、一族の問題児ランサム・ドライズデールを「キャプテン・アメリカ」シリーズのクリス・エヴァンスが演じるなど、オールスターキャストで事件の謎を描いていく。第77回ゴールデン・グローブ賞ミュージカル・コメディ部門作品賞・主演男優賞(ダニエル・クレイグ)・主演女優賞(アナ・デ・アルマス)ノミネート。 -
マイ・サンシャイン
ロサンゼルス暴動に巻き込まれた家族を描くドラマ。1992年、LAサウスセントラル。家族と暮らせない子どもたちを育てているミリーと、彼女たちを見守る隣人オビー。ある日、黒人が犠牲になった事件に対し不当な判決が出たことから、LAで暴動が始まる。監督は、「裸足の季節」のデニズ・ガムゼ・エルギュヴェン。出演は、「チョコレート」のハル・ベリー、「007」シリーズのダニエル・クレイグ。
NEW今日命日の映画人 3/2
- セルジュ・ゲンズブール(1991)
-
ノーコメント by ゲンスブール
音楽家、映画監督など多彩な顔を持つセルジュ・ゲンスブールが、自身の内面を語った録音テープを元に構成したドキュメンタリー。監督は、旧ソ連のトランペッター、エディ・ロズナーのドキュメンタリー「The Jazzman from the Gulag」でエミー賞を受賞したピエール・アンリ・サルファティ。 -
モード・イン・フランス
「ミスター・フリーダム」「ポリー・マグー お前はだれだ?」など、キッチュなアート系映画を作ったことでも知られる写真家ウィリアム・クライン。ヴォーグ誌のグラフィック・デザイナーとして活躍したクラインが80年代に製作した唯一の長編映画。