踊子サリー

おどりこさりー
製作国
アメリカ

ジャンル
ミュージカル

ここが見どころ

原作はガイ・ボルトン氏作のミュージカル・コメディーでニューヨークでジーグフェルドが長期興行をなして当てたものである。ジューン・メイシス女史が脚色したものを「小公子」「滑稽ホリウッド」等と同じくアルフレッド・E・グリーン氏が監督した。主役は「愛の救援列車」「青春に浴して」等出演のコリーン・ムーア嬢で「ロスト・ワールド」及び「嫉妬の創痕」等出演のロイド・ヒューズ氏が相手役を演じ、ジーグフェルド一座で大当たりを取ったレオン・エロール氏が同じく公爵の役を演じ、その他エヴァ・ノヴァク嬢、マートル・テッドマン嬢等が助演。

「踊子サリー」のストーリー

育児院の炊事場で働いて育ったサリーは院の後援者貴婦人の甥ブレア・ファーカーと知り合ってロマンスを味わった。落ちぶれた舞姫の家に寄食することになってから家計の一助にもとサリーは舞姫になろうとしたが雇い手がないので小さなカフェの皿洗いとなった。給仕として働いているロシアのチェカーゴヴィニア公爵とサリーは親友になった。そして再びブレアと邂ごうし、やがてカフェーの余興場で踊ることになった。俳優周旋業のフーバーはそれを見てブレアの義父や叔母の宴会で替玉になって踊る事を頼まれて大成功を博したが、カフェーの主人が替玉である事を暴露した。サリーは憤りと恥じとでまた落ちぶれ舞姫の許へ帰った。フーバーはサリーを探しに来てジーグフェルドが彼女に契約する旨を伝えた。ブロードウエイ出演は大成功を収めた。ブレアとサリー、ブレアと叔母と公爵、の二組みの結婚式が挙げられたのはそれから間もなくのことであった。

「踊子サリー」のスタッフ・キャスト

スタッフ
キャスト役名

「踊子サリー」のスペック

基本情報
ジャンル ミュージカル
製作国 アメリカ
製作年 1925
製作会社 ファースト・ナショナル映画
配給 ファースト・ナショナル
レイティング

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映画専門家レビュー

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安井昌二(2014)

小梅姐さん

「炭坑節」や「黒田節」など多くの民謡をヒットさせ、NHK紅白歌合戦でも美声を聞かせた芸者出身の歌手・赤坂小梅の生誕100周年を記念して製作されたドキュメンタリー。生まれ育った筑豊や芸者修行に励んだ北九州など彼女ゆかりの地を訪ね、数々の記録映像や関係者へのインタビューを交え、歌一筋に生きた彼女の生涯に迫る。監督は『ハイビジョンふるさと発~有明海に生きるカメラマンの物語~』などのドキュメンタリー番組を数多く手掛けた山本眸古。ナレーションを「悪名」の水谷八重子、作曲・音楽アドバイザーを「上方苦界草紙」の本條秀太郎が担当した。赤坂小梅。本名、向山コウメは明治39年(1906)年4月、福岡県川崎町に9人兄姉の末っ子として生まれる。16歳の時に自ら芸者を志し北九州の置屋「稲本」に。通常1年間の芸者修行を3ヶ月でこなし、1年で芸者デビュー、“梅若”を名乗る。昭和4(1929)年、九州一円の民謡研究のため小倉を訪れていた野口雨情、藤井清水らに認められ、レコードデビューを果たし、同6年に上京。同8年、コロムビアから発売した「ほんとにそうなら」が大ヒット。以来、端唄、舞踊小唄などを含め、多くの流行歌や民謡をレコーディングしヒットさせた。NHK紅白歌合戦にも4回出場、その豪放磊落な性格から多くの文化人や政・財界人などに愛され、大衆から支持された。酒豪でも知られ、恰幅のいい体型が特徴的だった彼女は昭和56(1981)年4月、75歳で引退。晩年は民謡の普及や福祉活動に勤しみ、平成4(1992)年1月17日死去。享年85歳であった。

楳図かずお恐怖劇場 まだらの少女

人の憎しみが生み出す蛇の呪いの恐怖を描いた中篇ホラー。監督は「恋する幼虫」の井口昇。楳図かずお原作の同名コミックを基に、「ホラ~番長 稀人」の小中千昭が脚色。撮影を「着信アリ2」の喜久村徳章が担当している。主演は、「Last Quarter 下弦の月」の中村有沙と「TRICK  劇場版」の成海璃子。尚、本作は「楳図かずお恐怖劇場」の中で、「ねがい」と2本立公開された。楳図かずおデビュー50周年作品。